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第122回 北上銀河ロード?! −序章−

300日間の長い眠りから醒めて、今日は平成24年3月13日・・・

あらためて犠牲者の方々のご冥福をお祈り申し上げます。

  

夢の中でも被災地の復旧活動が心配でたまらなかった。

たまたま、「 被災地のこれからの漁業経営を考える 」という

講演会の講師に招かれましたので、

被災地 石巻〜南三陸〜気仙沼の一人旅をしてきました。

この目で確かな復興の光を見たかった。

被災地の皆様と希望の会話がしたかった。



やっぱり何も変わっていないじゃないか!!!

南三陸の浜辺で、年老いた漁師さんが暮れなずむ海を眺めながら重い口を開いた。

「何にも変わっていねえ〜だよ! あれから・・・・・」

「おらの家は、土台と骨組みだけだよ! ホラッ 見てみろ あそこだ!」

「自衛隊さんがけえったから(帰ってから) そのまんまだよ」

「いまさら 船も買えね〜よ 家も買えね〜よ!」

「何が復興だ!!! 誰がそったらこと信じられっかよ!!!」

「それが知りてーよ 10年後はどうなるだか? 」

「いつになったら漁に出られっか? わからね〜だよ」

「ま〜だ 海の中は真っ黒だ! 瓦礫がいっぺ〜だ。」

「岸壁だって、見ろ! あんなに沈下しまってるだよ。」

「作業場(牡蠣剥き工場)も冷凍庫も何にもなくなっちまっただよ。」



リアス式の三陸の海岸線は、小さな集落が次々と続いていている。

志津川〜清水浜〜歌津浜〜階上〜・・・(気仙沼まででも 20や30の浜が続いている)

どの部落を見ても、崩壊したままだ!瓦礫が散乱したままだ。

作業するクレーンもブルドーザーも何一つ見えない。

ときどき 軽自動車がデコボコ道をゆっくり走るだけで、

人影はほとんど見えない・・・・・

元の街並みはどうなっていたんだろう・・・・・

石巻・気仙沼などなど、大きな町の映像はテレビで見えるから少しづつ復興も始まってるようだが、忘れられたこの集落には、いつになったら復興の手が付けられるんだろう?



ホテルの窓から眺める海は、穏やかでやさしそうだ。

ボンヤリとかすかに見える街並みの灯りが、心に沁みる。

明日の講演会のストーリーに思いを回らせながら、

夕食後、宿のマッサージさんとくつろぎ、地元の声を聞いてみた。



 「 <被災地のこれからの漁業経営を考える>っていう講演会の講師に

    呼ばれたんですよ。 」



 「ずいぶん立派な話ですね! でも、ここらの漁師さんは何も先のことなんか考えてないよ! 

  また元の牡蠣とホタテと、銀鮭の養殖棚を作り変えようとしてるだけだよ。



  この目の前の海が、震災前と同じヘドロの海に戻るだけだよ!

  折角、津波のお陰で綺麗な海に戻ったんだからさ、

  昔みたいな漁をしたらいいのにさ!志津川の蛸といえば明石の蛸より美味いんだよ!

  ナメタ鰈だって アイナメだって ヒラメだって ウニだって スルメいかだって。



  一番は、吉次が最高だよな!

  震災前にはさ、観光客も結構増えていたんですよ!でも、何を目玉にしてたと思う?

  海に養殖棚がイッパイ浮かんでる景色を売り物にしてたんだよ!!! 」



 「私も、去年の5月に来たときに正直、

  これでこの海に魚がもどってくるな〜と一瞬期待しましたよ!

  昼間、明るいうちに浜辺をず〜と車を走らせたけど、だ〜れもいなかったよ。

  みんな何処へ行っちまったの????????」



 「増田さん、私は子供の頃に眼が見えなくなっちまったんで、

  今は何も見えないんですよ・・・

  でもね、今ね、ここにいる人たちはみんな目の前のことしか見えなくなっているのさ。

  私と同じだね!?他所のことや、隣の畑や、山の上のことや、町全体のことや・・・・   

  ましてや、1年先も見えてないのよ !!?

  ヤッパリ、下ばっかり見てちゃ駄目だよね。上の方から町全体や農家の事や

  道路のことや他の被災地の事や色んなことを見てみなくっちゃ!

  私は目盲だからよく見えるよ!不思議だね? 」



非常に参考になりました。

翌日の講演会で、この方の言葉を引用させていただきました。

私の復興計画の骨子作りに大いに参考になりました。



次回のタイトルは、

いよいよ壮大な宮城・三陸震災復興計画『 北上銀河ロード 』 

を語らせていただきます。

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