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第121回 世界一のヒラメの産地 「 相馬 」

阿武隈山地の間を九十九折の山道が続く。

新緑に包まれた林の間を、相馬に向けてしばしのドライブを楽しむ。

五月晴れのさわやかな空気がとても清々しい!

山道に沿って流れる渓流の水面が銀色に輝いている。



この先に現れるだろう光景を思い描きながら・・・



峠の中腹にさしかかると、道路標識がとびこんできた、ビックリ !

右折すると 「 飯館村 」と書いてある。

(後で地図を見てみたら、危険地域との街境を走っていたんです。)



福島の駅前から、1時半くらいで相馬の町に着いた。

相馬市の中心街は、津波の被害を受けなかったみたいで、

車の窓越しに眺める限り、静かで何事もなかったみたいだ。

スポーツセンターが被災者の避難場所になっていたので、

チョッとだけ、窓越しに中の様子を覗かせていただきました。

2ヶ月の間には、色んなことがあったんだと思いますが。

皆さんは、落ち着いて静かに現実を受け止めている様子だ・・・。



相馬双葉漁協は、津波に流されてしまったということで、

ここの避難所の隣で仮事務所を開設していました。

「 私は、4階建ての漁協の事務所の屋上に逃げてまして、

  何とか助かりました。3階の天井まで津波がきてたんですよ」

  何とか、職員全員無事でした、良かったです! 」

「 恐かったでしょう ! 大変だったですね! 憶えてますか? 」

「 沖から真っ黒な怒涛が来たのは憶えてますが、

  その後どうしたのか、何をしたのか、憶えていないんですよ!

  今、ここにいるのが不思議なんですよ ! 」

毎日が組合員のための復旧作業に忙殺されていて、

ゆっくりと振り返っている場合じゃない、ということなんでしょう。

まだまだ興奮状態なんだという気がします。



相馬市全体では、1000人近くの犠牲者が出たようです。

山側の町と海辺の町が国道6号線で分かれていて、

その国道のお陰で、中心街になっている山側は助かったみたいです。

漁協の渡辺さんの案内で、6号線を超えて海側に向かった。

ヤッパリ想像を絶する光景にまた、声を失いました。

丸ごと飲み込まれてしまった家々、倉庫、食堂、加工所、造船所・・・

海にまで引き込まれてしまった車やボート。

ちょっとした高台まで、船が打ち上げられてる。

だいぶ瓦礫や泥油は片付いているということでしたが、

私にはまだまだ、これからだ!という感じです。



「 自衛隊のお陰ですよ! ホントニ助かりましたよ。 

  自衛隊さんがいなかったら、大変でしたよ。

  自衛隊さんには、ホントニ感謝してますよ! 」

「 でもこれからは、自力で復旧しなきゃいけないんですよね。 」



渡辺さんの前向きな言葉が若々しくて、心に響く・・・



松川、原釜地区が昔からの漁師町で、 

普段は釣り客や観光客で結構賑わうところというが、

今は、瓦礫の山と打ちひしがれた人たちの虚ろな姿だけだ。



原釜の岸壁に、骨組みだけになった相馬双葉漁協の建物が残っていた。

その4階建ての建物の2階に、一艘のボートが打ち揚げられている。

「 どうしたら こんなになるんだろう?

  津波の力って とんでもないエネルギーなんでしょうね。 」

我が儘を言って、その残骸の中を見せてもらいました。

驚きますよ、ものの見事に壁や窓がぶち抜かれてしまってます。

「 お蔭さんで、金庫だけ壊れないで残ったんですよ。

  中に入っていた現金が無事だったんですよ(金額はチョッといえません)。

  金庫って 丈夫なんですよね ! 」

市場の建物は、骨組みがしっかりしてたので、夏場には業務開始まで

もっていけそうだということです。

網や釣具の片付けと、打ち揚げられた船の手入れを

黙々と続けている漁師さんの姿が痛々しい。

 

「 ここは、原発どころか三発なんですよ、地震に津波に放射能 」



ここの漁業は養殖に頼らず、沿岸漁業に力を入れてきた伝統に支えられています。

相馬双葉漁協の復興を心から祈ってやみません!

 

 天然ヒラメ 鰈なら日本一 いやいや日本一なら世界一でしょ!!!

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