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第120回 しがみついても生きるべえ!

この目でしかと見てきました・・・

石巻 南三陸 相馬と 一気に脳裏に焼き付けてきました。



日和山公園からは石巻の町が180度見渡せる。

桜は散ってえしまったが、つつじが色づき始めている。

樫の木や、クヌギの木の若葉の新緑が鮮やかだ。

草花は何もなかったかのように、自然のままだ。



青空の下で、見渡す街並みの景色はあまりにも無惨だ!

いったいこの町に何がおきたんだ、どうしたらこうなるんだ!

見えるものは、瓦礫の山と 建物の残骸と ひっくり返った車や

陸に打ち揚げられた船の残骸だ。

かすかに、何かを捜し求める人影だけが動いている。

造船所や 石油タンクや 魚の冷蔵庫 加工場 ・・・

みんな打ち砕かれて、瓦礫の山となってしまった。

仙台平野へと続く北上川沿いの街も、一網打尽に流された。

まだまだ、多数の行方不明者が眠っているという。



残された町の一角に車を走らせる。

窓越しに見える家々は、津波の爪あとがくっきり残っている。

壊れた窓ガラスは泥だらけだが人影は見える。

呉服屋さんが、着物か小物の後片付けをしている。

電気屋さんが、店先で電気製品を売っている。

壊れたシャッターを叩いている人もいる。

携帯を動かしながら、バスを待つ人もいる。

道路も車がイッパイ走っていて、渋滞だ。

なにやら笑って会話する高校生もいる。

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             ・

何か、一筋の光が見えてきたような気がする。

震災から2ヶ月 町の人々は必死に生活を続けてる。

でも、もとの町に戻るには何年かかるんだろうか???

    またこの町で暮らすんだろうか???

    心のケアは大丈夫なんだろうか???



今回同行していただいたのは、私のお魚師匠 桜田さん(仙台)。

無理を言って、奥方同伴で、石巻と南三陸を車で案内してもらいました。

生まれも育ちも石巻ということで、親類縁者や石巻高校の同窓生が、

沢山被災したんだそうです。 



「 でも増田さん、生き残った人と亡くなった方の違いって何なんだろう? 

  ヤッパリ諦めたらダメだっちゃあ、生きるために最後まで! 

  何でもいいから、しがみついて生きなくっちゃあ。

  俺なんか昭和22年に満州から命からがら引き揚げてきたからよう 」



「 俺もそう思うよ。生きようとする人間の性が大事なんだよ、キット。

  運命だけでは片付けられないんじゃないかな! 」 

  

石巻から南三陸まで車で1時間位だ。

窓越しに見える景色は新緑で鮮やかだ。

この景色だけを見ていると、何事もなかったかのようだ。

昔は志津川町といって、きれいな海辺の街だった。

小高い山から下っていくと、目の前にヤッパリ無惨な光景が・・・

三陸鉄道の駅は、跡形もない。町全体がなくなってしまっている。

この街は岩山を背にしているので、被害が物凄い。 !

海から押し寄せる津波の逃げ場がなったんだろう。

20〜30メートルくらいの高さまで岩山を削り取ってしまったようだ。

岩山の木の間まで、家や車が打ち上げられている。

まだまだ、片づけが進んでいないようで、道の両側が瓦礫の山だ。

この街は、復旧できるんだろうか?

この街に、人は戻ってくるんだろうか?

この街の復旧は、3年後なのか5年後なのか!



街を上から見渡すと、平坦な土地はとても狭い。

リアス式海岸の典型的な地形だ。

この南三陸から、北の気仙沼〜岩手の海岸線は、

同じような被害を受けたんだと思うと、ゾッとしてしまう。



キレイな海だけを見ていると何事もなかったようだ。

銀鮭や ホタテ わかめの養殖棚がきれいすっかり無くなっている。

青々とした三陸の海だ!昔の志津川町が戻ってきたんだ!

魚もイッパイ戻ってきてくれるだろうに・・・。



  ナメタ鰈の一夜干が食べられる事を夢見てます。

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